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2013.11.05
盛岡整体 盛岡均整院のブログ 8
【 プラス思考とマイナス思考 】
いまこそ私たちは、極限のマイナス地点から出発すべきではないのか。
人生は苦しみの連続である。
人間というものは地球と自然と人間にとって悪をなす存在である。
人は苦しみ、いやおうなしに老い、すべて病を得て、死んでいく。
私たちは泣きながら生まれてきた。
そして最後は孤独のうちに死んでいくのだ。
そう覚悟した上で、こう考えてみよう。
「泣きながら生まれてきた」人間が、「笑いながら死んでいく」ことは、はたしてできないものなのだろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 五木寛之
作家・五木寛之さんのベストセラー「大河の一滴」が世に出てから、もう15年ほどになります。
「大河の一滴」と同じ年に「他力」が刊行され、そして最近では「無力(むりき)」という随筆も著しています。
上の言葉は、「大河の一滴」の一文です。
この文に続いて、人生を「苦」とし、否定の極みから出発した釈尊のことが書かれています。
最後には、悟りを得、すべてを肯定して、微笑んで死んでいった人、としてです。
また、その当時評判になった「脳内革命」についても触れています。
プラス思考で物事を考えると、脳内ホルモン「β-エンドルフィン」が出て、心身を活性化するといい、
逆にマイナス思考だと「ノルアドレナリン」という悪玉ホルモンが出て、物事が上手くいかないというものです。
五木寛之さんは、それを一面では認めてはいるのですが、
『どうしてもプラス思考が出来ないギリギリの極限状態で、プラス思考で考えようと
必死にがんばってもできない人たちをどうするか』 ・・・という深いところが足りないというのです。
『これまで言われてきたプラス思考と呼ばれているものは、じつは安易な楽観主義であり、
漠然とした希望であって、本当に生きる力にはなるようなものとは思えません。』 とし、
『本物のプラス思考は究極のマイナス思考と背中合わせなのではないか。』 といい、
『現実を直視した究極のマイナス思考から、本物のプラス思考が出てくるのです』 と述べています。
・・・確かに、東日本大震災をはじめ、様々な災害を受けられた方々に、
その厳しい現実の前に、安易に「プラス思考たるべし」などとは言えないものです。
私の好きな、紀野一義先生のことばに、「肯定、肯定、絶対肯定」というものがあります。
古代インドの修行僧のお話「常不軽菩薩品」の中で、常不軽とよばれた人が、
どんなに嫌な人間に対しても礼拝讃歎し、しかも、それに対して敵意や憎悪で返された場面をとりあげています。
どんなに憎まれ、罵られ、打たれても、常不軽は人間の清浄な命を讃歎せずにはいられず、
そしてそれを相手に教えずにいられなかった、といいます。
紀野先生はそれを「すさまじい楽天主義」といっています。 (本当の) 楽天主義とは、すさまじきものだ、と。
『殺されたって、人を信じ通すという人生観を変えないのだ。
・・・人間はすばらしい。自然はすばらしい。生まれてくるってことはすばらしい。
死ぬってこともすばらしい。病気になるってのもすばらしい、という風に、徹底的に信じ通すのだ。
肯定、肯定、絶対肯定していくのだ。・・・常不軽菩薩は、すさまじき楽天主義者である。』
と語っています。
私たちは、この常不軽菩薩のようにはなれるものではありません。
ただ、楽天(楽観)主義=プラス思考について、表面的な成功を求めるための安易なものや、
マイナスのもの(現実)から目をそらしているだけならば、少しの逆境によっても崩れ去るに違いありません。
プラス思考、前向きな考え方は大事です。 (無理に思い込ませようとするのは逆効果ですが)
思考や言葉、行動について、プラスの習慣をつけることにより、「身心一如」というように、身体にも好影響を与えます。
プラスの明るさが、自然治癒力を活性化させ、さらに、人を呼び寄せ、運を呼び寄せ、人生を楽しくさせるのです。
しかし、「それでもどうしようもないことがあるのが人生だ」という根っこの思いも大切です。
だからこそ、その時々の小さな喜びや発見、人とのふれあい、
そして、いま生きていること自体が「有難く」貴重なものだと実感できるのです。
そして、その根っこの思いが、どんな逆境がきても、心折れず、踏みとどまれる礎となるのだと思います。
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