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2017.03.21

盛岡整体 盛岡均整院のブログ30

【 信じることから未来は変わる 】

     

「昔はよかったけれど、今はダメだ」ということを、僕は絶対に言わない。

言ってはいけないと心に誓っている。

なぜならそこから出てくるのは「昔に戻ればいい」という発想だけだからだ。

諦め、失望、悲観から、未来に向けて何一つ役に立つことは生まれない。

    

さまざまな問題を抱えているとはいえ、歴史上、現代ほど素晴らしい時代はない。

過去を遡れば、ギリシャ・ローマの時代から十八世紀のアメリカまで、世界各地に、奴隷制度があった。

江戸時代には厳しい身分差別があった。  明日の食べ物にも事欠く飢饉もあった。  戦争もあった。

高度経済成長の時代には、企業が金もうけに走って、今だったら到底ゆるされないレベルの公害をまき散らした。

僕たち人間は、試行錯誤を重ねながらも問題を解決し、こんな理不尽な社会を少しずつよいものに作りかえてきた。

一体過去のいつの時代が、今よりよい時代と言うのだろうか。

    

もちろん、地球の未来にはまだまだ多くの解決されるべき問題が山積している。

核実験、民族紛争、環境ホルモン、未知のウイルス・・・・・・、いずれも人類の生存を脅かす困難な課題であるが、

その時代時代に生きる人たちの力で、勇気をもって克服していくしかない。

そして、ハードルが高ければ高いほど、「人間の未来は明るい」と信じつづけることが重要になってくると僕は思うのだ。

   

最近の医学では、明るく前向きでストレスを溜めない人ほど免疫機能が高いことが証明されたという。

免疫機能とは、身体の外部から異物が侵入した場合に、それを撃退する機能である。

この力が強ければ、ガンにもかかりにくいし、自然治癒力も高まっていく。

     

同じことは社会についても言えるだろう。

人間が、明るく前向きな姿勢で未来を見つめることによって、

社会の免疫機能は高まり、その病巣を克服する治癒力も高まっていくに違いない。

だから僕は能天気と言われようが、根拠がないと言われようが、「人間の未来は明るい」と言いつづける。

信じることから、未来は変わるのである。

     

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鈴木光司

   

作家、小説家、エッセイストの鈴木光司さん。

映画化もされた「リング」「らせん」や「ループ」などの有名な作品から、「ホラー作家」というイメージをもつ人も多いようです。

しかし本人曰く・・・「リング」では決してホラーを書こうとしたわけではなく、書きたかったのは、家族の絆と社会のことであり、

「ループ」では主人公の少年の成長を通して、家庭における父の役割、自己犠牲、人間愛といったことを描いたとのことです。

       

     たった今、デッキに人影が見えた気がした。

     「おーい! おーい!」

     声を限りに叫び、洋一は手を振った。

     ・・・・生きて帰ることができる!

     かつて、これほどの歓喜を味わったことはない。

     この瞬間が訪れることさえ知っていれば、再度の漂流も辞さないほどだ。

  

何度も読み返した 『光射す海』 という作品では、

ある出来事より独り漂流することになった主人公が奇跡的に助かる様が劇的に描かれています。

この経験により、主人公の洋一は、大きく変貌を遂げます。

面と向かうと威圧するような迫力が感じられ、安定感の伴う男の雰囲気が身体全体から匂い出ている、と描かれています。

死を覚悟し、追い詰められ、そしてぎりぎりで生還出来たことにより、「生きてゆく」上での不安や恐れなどというものは消え、

何が起きたとしてもしっかり受けとめるという「覚悟(悟り)」が身について、それが「安定感」として現れていたのでしょう。

そして、いつ死を迎えるかわからない難病といわれた自分の彼女のことをすべて受け入れ、共に生きていく決心をします。

 

     彼は安心して暮らせる場所などこの世界には決して存在しないことを、身に沁みて知ってしまったのだ。

     常にどうにもならない力に弄ばれている。

     明け方の海、こつんと後頭部にぶつかってきた救命いかだがなかったら、彼はとっくに海の藻屑と消えていた。

     救助されたのは奇跡以外のなにものでもない。

     生死の境目をさまよった者の常として、彼は運命論者になりかけていた。

  

究極的に己の死と向かい合ったとき、「生きている」ということ自体が奇跡であると体感するのでしょうか。

本当は誰もが死と隣り合せであるのが「生」なのですが・・・・

 

     ・・・楽園の暮らしこそが幻想なのだ。

 

世界が決して甘くなく、禍福もまた避けられぬ波のごとく押し寄せるものならば・・・

己の前に現れるどんな事象もしっかり受けとめる「覚悟」をもって、力強く進むしかないということを教えてくれます。

「生」の先に「死」が必ずあります。 

また、「生」のすぐとなりに「死」は存在しています。

明日死ぬかもしれないと思えば、些細なことでやみくもに不安や恐れを抱き、滞っているというのは馬鹿らしいと思います。

明日死ぬかもしれないからこそ、周りの人達と「今」深く・・・全力で関わらなければ後悔すると考えれるのです。

時間は決して余ってはいないのです。 大事な「今」をしっかり生ききることです。

目の前に起こる現実を受けとめ、肯定し、「今」をやりきることです。

    

・・・鈴木光司さんは自分のことを ”作家らしからぬ楽天家” と言っています。

ひょっとしたら実際に周りから” 能天気だ ”と言われているのかもしれません。

しかし、「未来は明るい」ときっぱり言い放つその姿勢には、「楽天家・能天気」だけではないものを感じさせます。

そこには根拠が無い中での軽々しさなどではなく、『光射す海』の主人公の洋一のような「覚悟」が感じられるのです。

たとえ何が起きようとも、「諦め、失望、悲観から、未来に向けて何一つ役に立つことは生まれない」と言い切る信念があり、

現代社会を肯定し、決して否定をしないと心に誓う意思の強さが見られます。

  

今現在、戦争をしている国々や、飢饉で多くの人が餓死している国もあります。  

だから、「今がより良い時代」とは、厳密には、場所によっては言い難いことでもあるかも知れません。

また、生きていることは、何かを犠牲にしていることでもあり、それから目をそむけて安易に平和を唱えることは出来ません。

『愛の反対は無関心だ』 とマザーテレサが言いました。 

情報が余りにも溢れ交錯する世の中に、人々は余裕を失くし、何かが麻痺し、無関心が広がっているとも感じます。

地球も既にかなりの悲鳴を上げているとみる意見も多く聞かれています。

私達の子供たちの代、そのまた子供たちの代・・・本当に明るい未来なのか考えると不安が残るというのも正直なところです。

    

それでも、人は「希望」無くして未来を切り拓くことはできないでしょう。

それは、未来へ向かう「姿勢」の問題です。

五木寛之さんは、『現実を直視した究極のマイナス思考から、本物のプラス思考が出てくるのです』 と語りました。

問題意識を持ち、マイナスとなる物事にも常に目を向け、考えながら、しかも明るく前向きに進んでゆく。

一人ひとりが人類の未来を担ってゆく。

そのための原動力となるのが、鈴木光司さんの言うように「信じること」であり、「信じる意思」です。

一人ひとりがプラスのエネルギーをもつことで世の中まで変わると信じること、想像(想念)が生み出す力を信じること・・・

そして大切なのは、日常から・・・普段から人間の可能性というものを信じ肯定して行動し生きていくことです。

それらの「希望」の力が未来をより良く変えることに繋がってゆくのです。

     

   

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