2016.03.02
【 何度でも・・・ 】
込み上げてくる
涙を何回拭いたら
伝えたい言葉は届くだろう
誰かや何かに怒っても
出口はないなら
何度でも 何度でも
何度でも
立ち上がり呼ぶよ
君の名前 声が涸れるまで
悔しくて 苦しくて
頑張ってもどうしようもない時も
君を思い出すよ
一万回だめで へとへとになっても
一万一回目は 何か
変わるかもしれない
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 吉田美和
Dreams Come true のボーカルで多彩な音楽活動をされている吉田美和さん。
「何度でも」というこの歌を初めて聴いたときはとても良い歌だな、と思いましたが、
もともと新潟中越地震のときに作った曲で、震災被害者を救うTVドラマの主題歌にもなっており、
そして、東日本大震災の直後のとき、被災者へのエールとして全国のラジオで最もオンエアされた曲であり、
「東日本大震災復興支援」のアルバムの中心的な歌になっていると知り、ますます感じ入るものがありました。
津波で流されて行方不明になった多くの人達。
「何度でも呼ぶその名前」は、その人達のことを捜し、求める多くの声と重なります・・・
何度でも、何度でも愛する者を呼び、求める、そんな家族や親しかった人達の悲痛な声と。
・・・震災後すぐに支援隊に参加して、陸前高田に行きましたが、
悲しいくらい澄んだ青空の下の、あたり一面の瓦礫の世界に立ったときの、その光景が頭にこびりついて離れません。
非現実のような世界
一瞬にして奪われた多くの命
親しい人が消え 家が消え 町が消えた
それを目の当たりにした 人々の喪失感・・・
そんな状況に、少しでも立ち上がり、前へ行けるように、この歌が流され続けたのだと思います。
名を呼ぶといえば、詩人の三好達治がこんな詩を歌っています。
わが名をよびて
わが名をよびてたまはれ
いとけなき日のよび名もてわが名をよびてたまはれ
あはれいまひとたびわがいとけなき日の名をよびてたまはれ
風のふく日のとほくよりわが名をよびてたまわれ
庭のかたへに茶の花のさきのこる日の
ちらちらと雪のふる日のとほくよりわが名をよびてたまはれ
よびてたまはれ
わが名をよびてたまはれ
・・・これは、作者が母を思慕して歌われたものです。
「何度でも」の名前を呼ぶ側と、名前を呼ばれたいと願う側との違いがありますが、
どちらも「名を呼ぶ」という行為一つにおいて、どれほどの愛情と想い、喜びとなつかしさがこもっているのでしょう・・・
名前を呼ぶ声がちからになる、名を呼ばれてそれに応えるよろこびが生きる糧になる。
言葉にはおおきなエネルギーが宿ります。
たとえそれが過ぎし日の、取り戻せないものであっても。
そして、その人の面影を思うだけで、停滞していた場所から、また前へと進むことが出来る。
悔しく、苦しいことが多くても、活き活きと生きていくことが出来る。
そんなちからのもとが、そこにはあるのです。
私たちの生活のなかで何気なく使っている相手の名を呼ぶ行為。
いつもとはいいませんが、何か思う時には、ありったけの想いをこめて、名前を呼び、呼ばれ返事を返したいものです。
生きている、ともに生きていくという想いを胸に抱きながら、です。
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