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2014.06.28

盛岡整体 盛岡均整院のブログ17

【 時々あなたの匂いが 】

    

時々あなたの匂いが

わたしをみつめている

笑いながら

みつめて消える

ほんの束の間に

場所さえわきまえず

わたしを長いほどみつめていたように

あなたの笑いは

なにもかもわたしのことを知っている

あの時から

これまでじいっと机にむかっていて

どんなことを

書物からぬすんだことも知っている

あなたはわたしのそばをはなれない

わたしがまだまだ子供じみているものだから

仏様の許可をもらうまで

あなたはわたしを見守っている

     

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 菅野国夫

    

    

前回のブログで取り上げた、山形の詩人で高校教師だった菅野国夫さん(1937-1972)です。

詩集「悲しみの光背」では、妻美智子さんを愛する想いや、日々の信仰、癌に侵された後の悲痛な心情まで綴られています。

  

あなたと離れていても・・・どこにいても、なにをしていても、あなたの匂い、あなたの気配がわたしを包んでいる・・・

そんな感覚がこの詩には表れています。 詩人の満ち足りた想いが伝わってきます。

なにもかも自分のことを知っている美智子さんに、安心し、依存し、そして「帰依」しているのが感じられます。

「帰依」とは、その相手を信じ、自分を「おまかせ」することです。 己を投げ出すことです。

詩人にとって美智子さんは、まさに仏さまの代わり、いつもそばにいる観音さまのような存在だったのでしょう。

  

わたしを動かしていたあなたがいた

あなたを動かしていたわたしがいた

わたしとあなたを動かしていた誰かがいた   ( こんな不思議 )

   

ふたりの間には、ふたりを引き寄せ、引き付ける見えない力を感じていたといいます。

それは、「不思議」であって「不思議」でない、ふたりにとっては「必然」のことだったのだと思います。

  

・・・最近は忙しく時間がとれないのですが、私は一人旅が好きで、以前はよく、全国のいろいろな処の街並みや、

神社や仏閣、お城などを見てまわるのがとても楽しみでした。

30代のころに、前から見たかった京都・広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像を訪ね、

その少し後に、同じく行きたかった奈良・中宮寺の菩薩半跏像(伝如意輪観音像)を拝観することが出来ました。

   

中宮寺の如意輪観音像を訪ねたときは、少しだけ不思議なことが起きました。

お寺の本堂に入るとき、ちょうど中にいた人が出て行き、中には私一人となったのです。

そのあと、20分くらいの間、誰もはいって来ず、本堂にいるのは私だけでした。

観光シーズンで外に人通りもたくさんだったのに、です。

人々の救済を願う慈悲にあふれた観音様と私のみ・・・1対1の時間が静かにゆったり流れてゆきました。

飛鳥時代から、千何百年ものあいだに、何千万もの人が、この観音さまを訪ね、己の苦しみを訴え、慟哭したであろう

その場にいて、多くの人々の苦しみ悲しみ、思いを受け止め続けた、その微笑を十分に拝見することが出来ました。

とても有難い、不思議で貴重な時間をいただきました。

   

不思議というものは、実は生活のなかにたくさんあって、要はそれと気づかないときが多いだけなのかもしれません。

こころを静かにしたときや、菅野国夫さんのように誰かに己を投げ出したとき、はっきりと気づくものかもしれません。

そして人の「想い」というものは、決して軽いものではなく、「不思議」が「不思議」であって「必然」となる、

そんな「見えない力」、網の目のような「縁によるつながり」を引き寄せるものがあるのだと感じています。

    

     

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