2014.05.01
【 ふしぎはもうないのですね 】
木々が息をついて
ただよい ながれる
ひかりに なぐさめられ
ただよいは 風の波になった
その波が
たっぷりとおしよせてきて
お地蔵さまの
小さな前だれを
こまかく ぬらした
お地蔵さまの
その前に その前に
二羽のはとがお供物を
おじぎしながらいただいている
お地蔵さま
そのはとのふるさとを知っているのですね
そこには ふしぎはもうないのですね
すべてがふしぎだから
ひかりのなかから雨がふる
となりの佳人(ひと)が
静かにかさをひらいてくれた
知らぬ間にその中が
ふるさとになった
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 菅野美智子
菅野美智子さんは、山形の詩人で、高等学校の教師だった、菅野国男さんの奥さまです。
21歳で詩人と知りあい、25歳で結婚し、愛娘の瑞穂ちゃんを生みました。
・・・そしてわずか2年の結婚生活で、未亡人となった方です。
菅野国男さんは、生前、前のブログでお話した紀野一義先生の本を愛読し、先生とつながっていました。
そして彼の死後、美智子さんは紀野先生を頼り、先生のもとを訪ねるのです。
紀野先生の主宰する会で、高野山に結集する行事があり、美智子さんはそれに参加し、任された仕事を
かいがいしく、嬉々として取り組み、広い会場の、350人の参加者の間を風のように往き来しました。
紀野先生はこう話しています。
『 彼女はきわ立って美しいというんではない。
美しい人なら、そこに集まった人々の中にもっと美しい人がいた。
その美しい人の中のひとりが、彼女を見てこう言った。
「あんな美しい人がいるかと思うと、ショックだった」 と。
・・・彼女の美しさは、その深い心からきている。 人を疑うことを知らず、人を憎むことを知らず、
人の悲しみを聞くやたちまちその眸から涙があふれ落ちる、その心からきていた。 』
美智子さんのやさしさは、生まれついてのものもあるのでしょう。
そこに、愛する者との死別という深い悲しみを経験し、彼女のやさしさは、より深くなったのだろうと思います。
この世の涙する者に寄り添い、共に悲しみ、共に涙する心を 「同悲」 といいます。
また、法華経にこんな言葉があります。
「 常懐悲感 心遂醒悟 (じょうえひかん しんすいしょうご) 」 ・・・常に悲しみを心に懐いて、心遂に醒悟する と。
高野山の奥の院の橋のたもとに、お地蔵さまが立ち並び、美智子さんはそこで動けなくなりました。
そこは、幼い子を亡くした人達が、亡き子の冥福を祈り、水を手向け、涙するかなしみの地です。
ついこの間亡くなった夫のこと、愛らしい瑞穂ちゃんのこと、そしてわが子を亡くされた方々のことを思い、
彼女の眼からは、とめどなく涙が流れおちたそうです。
この結集では、詩や俳句などの作品を募っていて、彼女はそのお地蔵さまの前で、先の詩を書いたのです。
悲しみを含んだ彼女の眼には、日常の光景が輝きをもって映し出されています。
人間のちからの及ばない、大いなるちからに包まれているのを感じ、そして それゆえに、
彼女が見る世界にはもう不思議はないのでしょう。 ・・・すべてが不思議であるのだから。
静かに輝く世界に抱かれ、悲しみをやさしさで包み込む、そんな美しさがこの詩にはあふれていると思うのです。
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